もじもじ

カーテンコールを受けるのは俺たち

怒涛の年末年始 後半

思えばわたしと元彼氏は、タイミングというタイミングが合わなかった。気はあってた、と思う。たぶん。もうあんまり思い出せない。顔もぼんやりしてるけど、隣に並んだ感じとか、目線をどれだけ動かせば目を合わせて会話ができたとか、手の感触とか、そんなことは染み付いているみたいだった。

うつになりかけたり、大学院に行って内定先を蹴ったと思ったら学校にいかなくなり果てには今まで勉強してたこととは全然別のことをしにアメリカに留学するとか言い出した。でも、暗い目がわたしを好きって言っているようで、わたしは離れることができなかった。

 

わたしもわたしで至らなかったことはたくさんある。反省もたくさんした。

 

でもある時、仕事も忙しい時期に大好きだった叔父が亡くなり連絡もなかなかできていなかったので電話をした。

「連絡できなくてごめん、叔父さん亡くなって今日お葬式終わったところ」

「そっか、大変だったね。ところで、アメリカに留学しようと思うんだけど…」

 

正気か!!!!!!!!???!

この時わたしはあまりのショックでしばらく落ち込んだ。割とたくましく能天気にできているのにシャワーを浴びながら泣いた。まずアメリカとかいう謎ワード、そしてこんなタイミングでこの話をする無神経さが悲しかった。自分本位め。

今ならその時に別れろよと自分をひっぱたきたい。この弱虫、人の扱いを受けろ。でもいま別れたら、わたしが恋人としての思いやりを持たれていなかったということを認めてしまう、この約8年は何だったんだと思った。ほんとうはわかっていた。

幸せな友人カップルたちの話を聞くたび、友人の幸福はうれしいのに、自分のどす黒く汚いこころの存在を自覚するのが恐かった。それが漏れ出てないかひやひやしていた。

わたしはこの時、相手を理解して受け入れることが愛だと思っていた。どうしてこういう結論になったかとか、何を考えているのか理解しようとした。今思えば、他人が何を考えているのか理解しようなんて傲慢すぎる。恥ずかしい話だけど愛についてすごく考えた。別れるのは逃げだと思っていたところがあった。こんなに長く付き合って、この人を愛さなければいけないと思っていた。別れたら今までのこの時間は何になるんだろうとか、後ろばかり見て明るい未来を掴む気力もなかった。未来に向かって走る力も掴む能力もないと思っていた。何もない。だから許して受け入れることを大きな愛だと思い込んでいた。大丈夫、と彼にたくさん言った。自分にも言い聞かせて呪いをかけていた。大丈夫な時期なんていつだったのだろう。誰も傷つけずに幸せになりたかった。ほんとうにばかだ。

 

ある時のデート中、欲しい傘があり、ちょうど買い物していた百貨店に取り扱いのお店があったので見に行ったら欲しい色だけ欠品していて残念に思った。別れてからすぐそういえばと思って立ち寄ったら普通にあった。

普通に買った。

ちょっとしたことからすべてのタイミングが合わないなあとしみじみ思った。友人は「全てにおいてむこうが合わせる気ないじゃん」と言っていた。ごもっともだ。

 

別れた後に鬼電があってしぶしぶ出たら泣きながら結婚しようよと言われたり、ふざけるなって感じのことも起こった。でもどんな終わり方であれ、わたしの青春だった。高校生のまだ夢見がちなわたしは運命の人なんじゃないかと思っていた。

 

そんなこんなで、元から仲の良かった友人とは前より頻繁に会うようになる。

彼は努力が出来る、頭の良い、けどちょっと奇人で、大切な友人だ。

 

琵琶湖の4日後に京都に行き、それはそれはほんとうにたのしく過ごした。結果的に週2で琵琶湖を見た。毎日の散歩で培った体力でめっちゃめちゃに観光地をまわった。京都に詳しい親戚に「計画してないから東西南北に無駄に動きすぎなコースだね」と言われたりした。他の誰でもない、わたしと友人が最高に楽しかったからいいのだ。

2日後のクリスマスには鍋をつつき、イルミネーションを見て、欲しかったスピッツのベスト盤をもらった。めっちゃ聴いた。

その1週間後にお互いの元彼、元彼女の思い出の品をそれぞれ海に投げに行った。ゴールドのブレスレットがきらきら海に沈んでいくとき、これでよかったなあって思った。

天気のいい日に海を見ながら渚と青い車を聞くのはしあわせだった。

年始に初詣に行き、食べ歩きをして参拝し、手を握られ、わたしの大好きな工場夜景を見て、いつのまにか付き合っていた。

 

すごいスピード感で付き合ったけれど、一緒にいる未来を想像すると心から楽しみになったのだった。ふたりで前を向いて、でも手をしっかりと握り合っていけると思った。

いまはもう愛について考えたりしていないけど、愛はそこにあると感じているからもう充分だ。

考えても愛は近寄ってこないし、別れることは逃げではなくひとつの選択にすぎなくて、進路を選ぶように、今日の晩ご飯を選ぶようにしてよいのだなと思った。過去のわたしはなんて臆病だったのだろう。その場その場で選択していくことをさぼってしまうと大変なことになると学んだ。

 

しかし10年来の友人と付き合うのはとても恥ずかしく照れるということもこの歳になって分かったのだった。

ずっと苗字で呼んでいたのを名前にするのはほんとうに難しい。