もじもじ

カーテンコールを受けるのは俺たち

何もない

10月から無職になった。

コロナでとかではなく、完全自己都合。ずっと転職したかったけど結婚やら転勤の可能性やらで足踏みをしていたところ自分の限界がきて、旦那さんにもゆっくり休みなと言ってもらった。全く激務でない仕事なんだけど、自分なりにできることをきちんとやってきて、もうこの場所に未練もなければこの仕事に何の思いもないということに気づいた時、今までで一番尊敬している上司が異動となった。これもタイミングだなと思って、すっぱり辞めた。コロナ禍だし次の仕事なんてすぐ見つからないだろうと思うし、家を快適にしようと日々細々と作業をしている。

今まで縁がないだろうと思っていた専業主婦生活が始まって、まあ早々に飽きるだろうと思ったけど旅行に行ったりしていたらまだ休めるな・・・といった感じ。今月は精神を休めよう。旅行は函館に行ったんだけどとってもよかった。函館に連れていきたい!と言ってくれたから選んだけど気候も食べ物も景色も全部よかった。このところ仕事でお疲れ気味な旦那氏がわたしを気遣いながらもリフレッシュしつつ楽しんでいるのが見えてとてもよかった。ふたりでお酒を飲んで歩きながら、「こうやってふたりでいるのが楽しいから、まだ子どもはいいなって思うんだよね」「わかるよ、でもいつか会いたいね」など平和な話をした。いつか会えるといいね。

 

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大沼湖の景色が一番好きだったんだけど、きれいな景色を見たときいつも泣きそうになる。わたしは感受性が強すぎると自覚があったんだけど、最近たまに聞くHSPだなと思った。ネット診断だけどやってみたら、非常に強いっていう結果が出た。だから何ということもないし、やっぱりなという感じだし、長年の自衛癖もあるから大丈夫。でも名前があることに居場所を見つけた気がしてちょっと安心した。共感性羞恥も強くてその派生なのか?とかずっと考えてたから。すぐ疲れてしまうし、映画館のしんとしたところで大きい音を聞くのが怖いし、ドッキリも苦手だし、すぐ涙が出るし、外に出ると眩しくて仕方ない時もあるし、悲しいニュースが頭から離れないし、相手の気持ちを分かろうとしすぎてしまって自分のことをあとにして結局疲れてしまう。先読みしたりトラブル回避するのがうまくて仕事では役に立つのはよかった、疲れるけど。販売が向いているのにすごく疲れるのはこういう特性だからっていうのもあったんだな。昔からずっとわたしはこんなによく涙が出るのは弱いからだ、強い人になりたいと思って生きてきて社会性も身につきそれなりにたくましくなった。よく泣くのも感受性が強いからだろうと思いつつ、だから何でだ?と不思議だった。自分の根っこは変わらなくてどうしてなんだろうとずっと思っていた。精神に何か疾患があるのではと不安になったりもした。強くならなくてはという気持ちで酒を飲んだり、これくらいでは傷つかないと思い込んだり、ずっとわたしは自分の特性に気づかずに無理をしていたんだなとやっとわかった。これからはお酒は好きだから楽しむために飲むし、自分がどうしたら心地よく生きていけるかこの休みで考えようと思う。旦那さんもわたしが感受性が強すぎてアニメのなんでもないシーンで泣き出したりするのも知っているから個性として知っていると思うけど、そのうち話したいなと思う。どう思う?とかではなくて生きていきづらいと思っていたことの大きな部分を説明できるようになったから、知っておいて欲しいと思えるようになった。昔はもっとひとりだった。

やっぱり湖の近くに住みたい。できれば平屋で。今週の金曜日は親友とジュエリーを見たあと飲みに行く、途中でたぶん酔っている頃に旦那氏も合流する。親友はわたしの誕生日プレゼントを買ってくれるらしい。今年わたし達は28歳になって、アラサー記念にわたしはそこそこいいお揃いのピアスを渡したのだった、猪鹿蝶みたいなやつ。金曜日がたのしみだ。