2017年12月半ばに、高校時代から8年程付き合っていた彼氏と別れた。
わたしから振ったのだけど、人を悲しい気持ちにさせるのはこうも辛いものかと別れる前は悶々として超健康優良児なのに熟睡できなかったりした。
友人と焼肉を食べながら辛い気持ちを話し、しかしどうにもならない彼氏だったのではやく別れたく、背中を押してもらった。
友人は男性だけど、高校からの付き合いなのでわたしのことをよく知っている。
別れ話をするであろう日に彼氏の悲しい顔を見て、その夜を過ごすのが辛いと言ったら「じゃあ終わったら琵琶湖行こ!迎えにいくから!」と言ってくれた。
わたしは別れ話後の夜中の琵琶湖がめっちゃめちゃに楽しみになってしまった。切ない夜に眺める琵琶湖はどんなだろうと思った。
思えば数年前にも、わたしから別れ話を持ち出そうとした時もその友人と焼肉を食べていた。
その時は悲しい顔に耐えられず、距離を置くという今思えばしょうもないことをしてしまった。
過去そんなこともあって今回はしっかりやってこいと、帰り際にしっかりと握手をして激励をもらった。
焼肉から帰って彼の写真や撮ってもらったわたしの写真など思い出すべてiPhoneを両手で握って消しまくった。
なんせ8年分あったので大変だった。
そしてiPodの新規のプレイリスト2に思い出の曲や泣ける曲を片っ端から入れた。
いま思えばこの時が切なさピークだった。
当日は思い出を作りたくなくて適当なお店でパスタを食べ、そのお店があまりにお子様連れが多くて言い出せず喫茶店に移動した。
カフェオレを飲みきり別れたい旨を伝え、無言になったり話したり、泣いている彼にハンカチを貸したり、帰り道にふたりで泣きながら彼はわたしを家まで送ってくれた。わたしの涙はもらい泣きみたいなものだった。
心の底と直感で「この道が正しい」と思っているから前を見ていて、流れる涙もそのままで足元を見るようなこともなかった。ただ前を見て自転車を引いて歩いた。彼の涙を見ても、わたしの心が揺らぐ時期はもうとっくに過ぎていたみたいだとその時実感した。もう、わたしはずっと前からこの人を好きではないのだ、という事実の方が切なかった。さようなら、高校時代のかっこよかった先輩。この切なさは時が経てば、抱きしめて眠れるくらいの大きさになると思った。きっとすごく強かった。わたしの今までの弱さはこの終幕のためにあったのかもしれない。
家に着いて、11時頃友人に電話をして車で迎えにきてもらい琵琶湖へ向かった。
けろっとしているわたしに「なんだよ!もっと泣けよ!」と言ってキレながらも話をずっと聞いてくれた。
新規のプレイリスト2を流しながら走っていると、歌が上手だった彼がよく歌っていた未来予想図IIの時だけ涙といっしょに「好きだったなあ」とポロリした。
過去形なのが切ないね、と言って泣き笑いした。
ぽつぽつ雨も降っていてとても寒い日だったけど、着いたら雨が止んで外に出られた。琵琶湖は真っ暗で空との境界線が分からないけどぬらっと光っていて、どっしりとしていた。
2人揃って顔を上げたら人生で初めて流れ星を見た。
センチメンタルだったわたしも流れ星を見て「わたしのこれからの人生、サイコーに楽しく幸せに違いない」と思った。
そして一応男女で流れ星を見る状況がロマンチックすぎてわたしと友人には似合わなかった。
帰りにローソンでホットミルクを買って、夜中3時にお風呂に入って3時間寝てから出勤した。
確かに8年間付き合っていたわたしと彼氏が別れても普通に朝になったら起きて、仕事に行って、夜には眠る毎日が来ることが嬉しくどことなく虚しかった。